
シスターが花道を去り

少女時代の8人体制が崩壊し

10周年記念の「Holiday」は、
一週間で打ち切りという惨敗に終わり
マイナーだが、SPICAが突然解散し・・・・
Bestieは、予定通り飼い殺しとなり・・・・
崖っぷちアイドルの救済番組「The Unit」が登場し・・・・
K-POPアイドル界も、大きく様変わりしている。
様々なファンの反応がある中、
本ブログ主特有の観点から、語ってみたいと思う。
「アイドルを愛すること」を語る時に、常に重要なテーマは、次の二つ。
@女性アイドルという商品を愛すること
Aアイドルという職業をしている
1人の女性を愛すること
アイドルファン活動をしている者にとって、この二つを区別して理解しているようで、実は分からなくなっていることがある。それ次第で、この大きな変化に対する反応も様々なようだ。
アイドルを愛するって何だろう
アイドルファンと呼ばれる人々の大多数は@である。
アイドル愛は全て「商品」に向かっている。ファンに言わせてみれば、アイドルに対するときAのように「1人の女性として愛する」のは無理であると初めから分かっており、諦めている。ファンである以上、アイドルとプライベートで仲よくなれるわけがない。だから、「ファンとアイドル」という関係に徹するしか選択肢はない。
そこでファンが執着するのは、
アイドルとの距離を狭めていくことである。
商品は基本的にCDや音源であり、TV番組の画像である。まずそこから始まるが、ファンは常に「生」の方が価値があると思っている。コンサートに通う。ファンイベントに積極的に参加する。握手会の握手を何度も繰り返し、名前を覚えてもらう。ソンムル(贈り物)を送って「返し」が来たとSNSで自慢する。金を掛ければかけるほど、商売人の利潤に貢献する。それを分かっていてもやめることはできない。
もはや、「商品」に徹しているはずが、いつの間にか「1人の女性」に夢中になっている状態と同じである。にもかかわらず、そのことに気づかなくなってくる。両者の区別も曖昧になってくる。
炎天下の行列に並び、長時間の労力に耐えながら、ひたすらアイドルとの物理的接触という見返りを求めていく。これだけ愛を尽くしたのだから、アイドルのほうもファンへの愛は同じものだと思い込む。「すべてはファンの皆さまのおかげです。」というアイドルの挨拶があたかも「アイドルも自分と同じようにファンを愛してくれている」と思い込む。
ところが・・・・
アイドルは商品
事務所が商売人であるように、アイドルも職業でやっているのである。契約期間中に契約内容に従って仕事をしているのである。アイドルという「商品」である以上、必ず「金銭」が絡む。「金銭」には何かと「汚れ」がつきものである。(何も男女スキャンダルばかりではない。スキャンダルと無縁でクリーンなままのアイドルでも、金銭契約に不満やトラブルがあれば、それは汚れた要素となる。商品である以上不可避なのだ。)アイドルという偶像に夢中な余り、「アイドルという職業をしている一女性」というリアルな見方をすることは出来ない。アイドルと汚れは無縁であると信じ込む。いや、無縁でなければすべてが成立しなくなるのだ。アイドル自体も事務所同様、商売人という汚れの本質の一部であることなど、非常に都合の悪いことなのである。
アイドル絡みの不祥事が起こり、「アイドル=汚れ」の本性がばれそうになると、一部の事務所はひた隠しに走ることがあるが、ファンもまた、これを否定しようと躍起になることがある。そしてファンたちが必ずとる結論は、「すべては事務所が悪い。」「事務所の指導に問題がある。」(ブログ主は、ことあるごとに「女子高生の学芸会じゃあるまいし」と皮肉を込めて書いてきたが。)
ファンはこのようにして「アイドル=汚れ」という事実を、ひたすら意識から消し去るのである。こうして「綺麗ごとだらけ」のファン活動は穏便に進められる。
しかし、どうにもならないのが、「契約期限切れ」である。
ここで、決定的なアイドルの「商品」としての本質が強烈に噴出するのである。ファンは驚き、狼狽する。その様は滑稽ですらある。特に日本人のK-POPファンにはこのような反応が多いようだ。幕切れの愛想の無さ、あっけなさに拍子抜けするのである。
日本製アイドルの「卒業式」の異様さ
日本には「お別れ会」や「慰労会」のような風習がある。日本製アイドルもまた、これをやることがある。私は、この「アイドル 涙の卒業式」と称するものが、虫唾(むしず)が走るほど嫌いである。まさしく「上辺だけの綺麗ごと」で「芸能界の汚れ」を覆い隠しているからだ。アイドルがやめる以上は何らかの不満、支障があるからやめるのだ。商売が好調であっても、そろそろ下降線をたどり始めたから、明らかに落ち目になる前に、最後の荒稼ぎをしておこう。アイドル自身が継続を望んでいても、事務所は拒絶する。事務所への不平不満を卒業式で叫ぶことは許されない。大人数のアイドル集団でも、妙に丁重に扱われるメンバーがいる一方で、いつの間にか消される者もある。その違いはプロデューサーの愛人になることを拒んだ、拒まなかったなど、汚らしい理由がほとんどである。そんなことを分析、直視することもなく、卒業式でのアイドルが言う「みんなありがとう。皆さん、大ぁ〜〜い好き」などという言葉に、いい年をしたファンたちが群れをなして涙する。まるで新興宗教の儀式のようで異様ですらある。
それに比べてK-POPアイドルの幕切れの方が、はるかにビジネスライクでさっぱりしていると思う。何らかの不満があるからやめるのだ。ファンへの感謝は忘れない。最後の「手紙」「メッセージ」には、綺麗ごとなしのショービジネスに生きた女の生の姿があると思う。
日本のファンにはかなり違和感があるようで、ある者は嘆き悲しみ、ある者は事務所を悪役にする。ある者は、大手事務所の似たようなアイドルに乗り換える。ある者は、K-POPアイドルファンをやめる。ショックに耐えられない一部の者は、アンチ韓流に走ったりする。
もう少し、人間社会の汚れに免疫を付けられなかったのかと聞きたくなるが、このような狼狽ぶりは、初めから「商品を愛していただけ」ということに気づかなかったことに尽きるのである。
映画ファンの愛し方
ここで私のような、アイドルファンではない映画ファンとしての愛し方を述べてみよう。私にとって、「アイドルという職業をしている、一女性」という見方は常に重要なのである。映画はアイドルとはちがい、映画という作品がすべてである。スクリーン上の幻影に実体はないが、そこで表現されている架空の人物が重要なのだ。映画女優はそれを表現するための「素材」でしかない。だから、その女優に直接会うことには、それほど重要な価値はないのである。生で女優に会うことは、プライベートな世界に踏み込んでいくことである。才能がある女優であればあるほど、実生活では不愛想であることもある。才能があるからこそ当然のことだとすら思う。スクリーンでの姿を最高に見せるためにスタッフが一丸となってあらゆる「技」「マジック」を使う。だから、素の女優は、スクリーンで見るほど美しくもなく、魅力的でもないことがある。
映画ファンにとって、これは十分分かり切っていることなので、女優に生で会いたいとは思わない。いや、場合によっては映画の演技があまりに迫真的だったので、架空の人物でありながら何とかして会いたいと思い込むこともある。そして女優がイベントとしてファンサービスをすることもあるが、そのためには映画のイメージを損ねないような入念な演出が必要となる。空港で出待ちをしては不意打ちをするようで、すべてがぶち壊しになることがある。
映画のストーリー通りの人生を女優がたどってしまうこともある。悲劇的であることもある。共演が縁で結婚したりすれば、これは好ましいかもしれない。典型的な「職場結婚」だが、映画の観客は、物語通りの波乱万丈の恋愛をしたのだろうと思い込む。いや、わざと騙されたつもりになって楽しんだりするのだ。
映画とはマジックである。全ては嘘、架空、作り物と分かったうえで楽しむのである。映画マニアとなると、そのマジックを検証して楽しむことになる。アイドルマニアが、ひたすら生のアイドルに会いたがって、物理的距離を近づけようとするのとは、かなり違っていることがお分かりいただけるだろうか。
平凡な1人の女性としての生き方
私がK-POPアイドルを愛するとき、「アイドルという職業をしている1人の女性」という観点を常に持っている。イベント、握手会で油ギッシュなおじさんたちと握手するとき、思いきり愛想を振りまくアイドルの心の底を覗いてみれば、彼女たちは、それを若い娘として本当に楽しんでいるだろうか。仕事に徹しているからこそできるのだ。アイドルに憧れたからこそ、苦労して手に入れた職業。その一部だから、本望だろうが、それも契約期間中限定である。それが過ぎれば一人の女性としてのプランがあろう。アーティストとして大成すればよいが、それはごくまれであり、大成しないまま時間ばかりを費やせば、年を取ってしまう。嫁にも行きそびれる。親孝行もできない。となれば、アイドル生活に見切りをつけることも十分考えている。
契約期限切れ後のアイドルのことにも思いをはせるのもファンの楽しみ方である。
アイドルとしてでも、歌手としてでも、あるいは女優としてでもない、
平凡な1人の女性としての幸せを掴んでほしい。私は、このことを常に思っている。
ショービジネスのカラクリを理解すれば、アイドルの汚れも人間らしさの一つとして楽しむことが出来るだろう。
アイドルは商品なのだ。
商品とは、作られたもの。架空のもの。
結局は幻影でしかないのだ。しかし、だからこそ我々は自由にファン活動にオリジナリティを持たせることもできる。独自の軌跡を残すこともできる。それはファンの心の持ち方次第だ。
大手事務所の巨大な組織活動の片棒を担ぎながら大騒ぎをして、突然の契約期限切れを知った途端にあたふたとファン活動の店じまいをするアイドルファンの顛末を傍観するにつけ、何とも空しい気持ちになるのも事実である。
もう少し先が読めなかったの?
先を読みながら、細く長く続けるのも一つのやり方だろう。
自分にとっての「糧」
ブログ新天地が中心的にあつかった女性アイドルの変遷は

少女時代 スヨン

AOA ヘジョン

ヨジャチング ソウォン
ブログ主の女性の好みが端的に表れた、非常に分かりやすい3人である。
つくづく思うが、
本当に素晴らしい女性アイドルに巡り合えたと思っている。
少女時代のスヨンも、AOAのヘジョンも、私にとってはいまだに女神であり、彼女たち中心のブログ記事を書いていた時はそれぞれに充実していたと思う。そして、その経験は今の「聖母ソウォン」について書く時も、大いに役立っている。
長い人生の中で、K-POPアイドルに触れたことが、どれだけ人生の糧となったか。
そして、自分自身がどれだけ糧にしようとしたか。



自分がK-POPを通して、何を残せたか。
最近、我がブログの過去の記事のアクセス数が大きくなっている。
これは嬉しいことだ。
「過去ログを読んでも楽しめる記事を書くこと。」を常に思いながら書いているが、このことがいかに大切なことかとつくづく思わされる。
刹那的な「早耳情報」を書いていくのは、K-POPブログの主な楽しみだろうが、そればかりに始終しては、やはり虚しい。
と言うわけで、「相次ぐK-POPアイドルの契約期限切れ」について総論を書いてみた。
で、本当は「シスターの花道に思う」「少女時代8人体制の崩壊について」などなど、具体的なコメント記事を書きたいわけだが、総論だけでこんなに長くなってしまった。
とりあえずは、言いたいことをすべてまとめてしまったので、具体論は書きやすくなるだろうと思っているが、はたして、どれだけ書けるか・・・・
時間次第ですね。(笑)
Gif記事やら、K-POP一般やら、書きたいことは山ほどあるが、時間がないのが何とも口惜しいところ。
そうこうしているうちに、今年も年末に近づいていく・・・・

